古代ローマのミレニアム
《コインが語るローマの歴史》 ミレニアム
3世紀の軍人皇帝時代、帝国のあちこちで名乗りを上げた自称皇帝たちは、すぐさま別の自称皇帝に席を空け渡し、内乱につぐ内乱で国が乱れていました。ある僭称皇帝などはひと月で失脚し、べつの一人などは敵国の捕虜となったりします。
そんな不安定な時代にも、記念すべき祝いの年がありました。
古代ローマが創建されたのは、紀元前753年だと言われています。ということは、紀元248年は建国1000周年、つまりミレニアムの年です。この年を祝う時の皇帝が、マルクス・ユリウス・ピリップス、通称ピリップス・アラブス(204-249)でした。
ピリップス・アラブスはシリア属州のアラビア半島出身でした。彼はじぶんがミレニアムの年に玉座にあることを知ると、国威発揚のために、そしておそらく、皇帝としての地位を盤石にするために、ローマに戻って、ミレニアムの祝祭を盛大に執り行いました。その年、1000人もの剣闘士の見世物を催し、辺境からめずらしい動物たち、カバやライオン、レイヨウ、アンテロープを連れて来させます。七つの丘の市民たちがこの見世物にどれほど心躍らせたことか、目に見えるようですね。皇帝はさらに、それらの動物を打刻したミレニアムの記念コインを発行します。記念コインにはほかに、建国の祖ロムルスとレムスに授乳する雌オオカミや、宮殿、里程塚などの記念建造物が刻印されました。こんにち、こうした記念コインはめずらしく、皇帝を刻印した通常のコインよりも高い値で落札されています。
ミレニアムで世に知れたピリップス・アラブス帝でしたが、その座もやはり長続きはしませんでした。翌年の起源249年、あらたに僭称した皇帝トラヤヌス・デキウスによって、彼は早くも失脚し、殺害、もしくは自害します。在位期間はわずかに5、6年でしたが、それでもこの時代の軍人皇帝としては、長くその座にあったほうだと言えるでしょう。
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