香川真澄の部屋

今年の秋、 ノーベル文学賞受賞作家グラツィア・デレッダの作品集を刊行する準備が整いました。『詩人の家‐デレッダ表題作品集』。生涯に出版されたおよそ20冊の短編集の表題作品を集めたものです

図書の表題になってはいても収録作品にその名前のないものもあり、すでに日本語に翻訳されて出版されているものもあって、本書に収録したのは12編になりました。デレッダの長編小説はこれまでに6冊、日本で出版されていますが、短編集としては拙訳書もふくめて本書が3冊目になります

 【 収録作品 】

1. 客人

2. 誘惑

3. 闇の女王

4. イル・ノンノ

5. 明暗

6. 隠された子供

7. 森の中のフルート

8. 愛の封印

9. 詩人の家

10.ナターレの贈り物

11.海の上のぶどう園

12.レバノン杉


★ 写真はイタリアのサルデーニャ島ヌオロにあるグラツィア・デレッダの生家の門で、昨年の秋に若菜愛理さんが撮影したものです

旧市街で発見された 22,000 枚の古代貨幣のうち、ローマ人がこの地域に植民地を築き、神殿の丘にユピテル神殿を建てた後、西暦 132 年から 136 年頃にバル・コクバが率いたローマ人に対する反乱に遡れるのはわずか 4 枚だそうです

「エルサレムはバル・コクバ反乱軍の目標であり、戦いの雄叫びでもありましたが、彼らは決してこの都市を征服しませんでした。」とアリエル氏は指摘しました。「彼らが鋳造した少数の硬貨が市内で発見されたことも、その証左です。この地域でそのような硬貨が発見されたのは、40年ぶりのことです。」

この硬貨を非常に希少なものにしているもう一つの特徴は、片面​​にブドウの房、もう片面にヤシの木(こうした硬貨によく見られるシンボル)が描かれている点に加え、古代ヘブライ文字で「エルサレム」の文字が刻まれていることです。 反対側には「イスラエル独立二年目」と刻まれています

ディーノ・ブッツァーティのルポルタージュ作品集『Dの犯科帳‐狼の邪悪なうた』『Dの犯科帳‐黒の事件簿/虐殺』の二冊を刊行いたしました。 狼の収録作品は8編、黒の収録作品は5編で全13編です

ディーノ・ブッツァーティのルポルタージュ作品集『Dの犯科帳‐黒の事件簿/虐殺』が製本会社から届きました。B6判 188ページ

26歳の時に書いた小悪党どものコミカルな犯罪を描くコラム集と、イタリア犯罪史に名を残すシチリアの一家虐殺を描く渾身の長編のルポルタージュを中心に、児童100人を人質にした最悪の学校立てこもり事件、バンコクで起きた謎のイタリア女性殺人事件、著者の故郷で起きた大災害の顛末を収録しています

ディーノ・ブッツァーティの新刊『Dの犯科帳‐黒の事件簿/虐殺』の表紙と裏表紙のイメージです。収録作品は5編。発行日は5月20日ですが、今月末には刷り上がりそうです

ちなみに、表紙写真の新聞記事の左下に小さく見えるコインは古代ローマの貨幣(オリジナル)で、筆者のコレクションの一部です

ディーノ・ブッツァーティは大学在学中に大手新聞社”コッリエーレ・デッラ・セーラ”社に インターンとして入社し、ミラノで起きた主に軽犯罪をコミカルに記事にしていました

上品な服装をした三人の泥棒に騙されるアンチョビ売り、列車で町に到着するやいなや巧妙な策略に騙される農夫、被害者の身元確認のために警察署まで同行する泥棒、殴られて強盗されたふりをして今度は相手に強盗を仕掛ける若者。ガチョウを守ろうとして泥棒に揚げたスポンジを喰わされ、腹痛を起こしたブルドッグ。これらは、ブッツァーティが細部まで明瞭かつ豊かに表現し、ところどころに皮肉のタッチを加えることを忘れない、シンプルでやや素朴なイタリア社会を描いた肖像画、または小さなフレスコ画です

こうした小さなコラムが現在、15編残されていて、「黒の事件簿」と題して発表されています。この初期掌編コラム集を含むルポルタージュ作品集を『Dの犯科帳‐黒の事件簿 / 虐殺』として近日中に刊行いたします


戦後間もないころのミラノ。サン・グレゴリオ通り四十番地で、三十一歳のリナ・フォルトが、恋人の不在に乗じて、三十五歳の「織物業商人」として知られるジュゼッペ・リッチャルディのアパートに上がり込み、アイロンで殴りつけて恋人の家族全員を虐殺しました。

当時、イタリアじゅうをパニックに陥れた、イタリアの犯罪史に名を残すこの事件に深甚の関心を抱いたディーノ・ブッツァーティは、事件発生の直後から取材を開始し、ほぼ毎のように日新聞に記事を発表します。

5年のインターバルを経て裁判が始まると、作家は足しげく裁判所に足を運び、公判の様子や裁判所の雰囲気、裁判官や弁護士、殺人鬼、犠牲者遺族、聴衆の動向を、一瞬も逃すまいと克明に描写して記事にしました。

のちに「サン・グレゴリオ通りの野獣」と名付けられたこの凶悪犯罪を、ブッツァーティは彼らしい丁寧さ執拗さで描き、のちに長編のルポルタージュ作品「リナ・フォルト、またはサン・グレゴリオ通りの野獣」としてまとめました。

*    写真はそのカテリーナ・フォルトに言い渡された判決を報じる当時の新聞《コッリエーレ・デッラ・セーラ》の記事。故あって少し加工しています。

ディーノ・ブッツァーティのジャーナリズム作品の中で最も恐ろしい物語を三つ挙げろと言われたら、ぼくは躊躇なく次の三作品を差し出す。すなわち①「身代わり人形の話」②「ロンドンの怪物についての証言」③「ヴァヨントの少女人形」

最初の①「身代わり人形の話」は『神秘のイタリア』に収録されているルポルタージュ作品で、いわゆる呪いの藁人形のイタリア版。次の②「ロンドンの怪物」はロンドンで起きた連続殺人事件を追う捜査官が現場の住人に聞き取り調査をした際の詳細な証言記録だ

①と②は邦訳されている。③は未邦訳作品で、ブッツァーティが故郷のヴァヨントで起きた大災害を取材した際の体験をつづったもの。災害で命を落とした少女が霊となって、盗まれた人形を取りもどしに来る話で、その場にいたブッツァーティが少女の霊(らしきもの)を実際に目撃している

★写真はそのルポルタージュに名前が出てくる芸術家ニキ・ド・サン・ファルと彼女がある時期から制作を開始した少女人形「ナナ」のデザイン

ディーノ・ブッツァーティは1963年10月19日から11月19日までの一か月間、コッリエーレ・デッラ・セーラ紙の海外特派員として日本に滞在していました。その間に書いた記事は全部で15本。記事は書かれる端からミラノの本社に送られて、新聞記事として発表されました


そのうちの一つに「日本の捜査 Indagini Giapponesi 」があります(他の個所では「東京の二つの事件」として発表)。この中に、当時、戦後最大の誘拐事件として日本を震撼とさせた「吉展ちゃん事件」が採り上げられていました。ブッツァーティ滞在中にはこの事件の犯人は捕まっておらず、捜査中の事件として書かれています


筆者は同じ年(4歳)である吉展ちゃん事件に当時から衝撃を受けていました。記事ではどういうわけか、吉展ちゃんは当時7歳と書かれていますが、この事件のころブッツァーティが日本に滞在していたのかと思うと、なんだか不思議な感じがします。なお、この記事も『Dの犯科帳‐狼の邪悪なうた』に収録しています

ディーノ・ブッツァーティの数千ものジャーナリズム作品の中から選りすぐったルポルタージュ8点を集めて刊行しました。実際に起きた事件にリアルタイムで挑む著者の原点にして到達点。イタリア版「マリィ・ロジェの謎」です。すべて本邦初訳で収録作品は以下の通り

 《収録作品》

死者と暮らして

アルナルド・グラツィオーシの犯罪

調べ尽くされた貴婦人

ポレージネの洪水

連続殺人犯ジョン・レジナルド・クリスティ

日本で起きた怪事件

トレヴィーリオの怪物

死に憑かれた空挺部隊

アキッレ・カンパニーレ、」カルロ・コッローディ他『叱られっ子‐ユーモア作品集』(イタリア文藝叢書‐7.:最終巻)が宇部日報に紹介されました。七段抜きカラー版。誠に有難うございます。

来年1月に刊行予定のイタリア文藝叢書‐7.アキッレ・カンパニーレ、カルロ・コッローディ他『叱られっ子‐ユーモア短編集』が印刷会社から届きました。 12年かかったイタリア文藝叢書(全10巻)の最終巻です。  第一部にはカンパニーレの短編13作品、第二部にはコッローディ、エンニオ・フライアーノほかの作家によるユーモア短編が7作品、  収録されています。