ガリア皇帝


古代ローマにおいて260年ほど錯綜した年はありませんでした。時の皇帝がペルシャ軍の捕虜になり、国土のあちこちで「我こそは」と勝手に皇帝を名乗る軍人が雨後の筍のように出て来たのです。以下の珍事もそのなかで起きた一つ。


ガリア(今のフランスおよびドイツ、イギリスの一部)に赴任していたポストゥムス(Postumus 260-268)は擁立した幼帝を殺害すると、自らを皇帝と名乗り、ガリア帝を僭称します。そして8年もの間ガリアの地を治めます。


しかしあるとき、ポストゥムス帝は制圧した町の略奪を兵士に禁じたたため、恨みを持った兵士により殺害、ガリアはその後4人の皇帝がつぎつぎに統治することになりました。


画像はそのポストゥムス帝が発行したデナリウス銀貨。この頃の皇帝にしてはめずらしく立派な髭を蓄えていますが、彼のコインにも古代通貨らしく、打刻時のバリがついていますね。


0コメント

  • 1000 / 1000