古代ローマの女性像

《コインが語るローマの歴史》 小ファウスティーナ

圧倒的男尊の時代、女性名は記録にも残されなかった紀元2世紀に、なんと、10代から40代にかけて肖像の残されている女性がいました。(40代で終わるのは、彼女が他界するからです。)

彼女の名はアンニア・ガレリア・ファウスティーナ。

じつはこの名前を持つ女性は二人いました。

もうひとりは彼女の母親で、五賢帝のひとりであるアントニヌス・ピウス帝の皇妃です。まぎらわしいので、母親を大ファウスティーナ、娘を小ファウスティーナと呼んでいます。

さて、ではどうして小ファウスティーナは生涯にわたっての肖像が残されたのでしょう? その答えは2つあります。ひとつは彼女がたぐいまれなる美貌の女性だったから。もうひとつは、彼女が安定した時代に長期政権を誇る皇帝の皇女だったからであり、またのちに、安定した時代に長期政権を誇る皇帝の皇妃となったからです。

この時代、あるいはずっと先の時代においても、彼女ほど各年代の肖像が残されている女性は存在しません。男性でも、紀元3世紀のカラカラ帝くらいでしょうか。

彼女の年齢およびコインの製造年代を、肖像からたどることができます。鼻型や体格からも辿れますが、一番わかりやすいのは、髪のだんごでしょう。彼女は生涯にわたって何度も髪型を変えましたが、長い髪をいつもだんごにしていました。そのだんごが、年齢を重ねるにしたがって、じょじょに下がってくるのがわかります。哲学皇帝と呼ばれたマルクス・アウレリウス帝の皇妃となった小ファウスティーナは、紀元175年に、皇帝より先に他界します。享年47歳でした。

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