古代ローマコインの製造
貨幣の製造
古代ローマコインは、国家に定められた職人の手で製造されました。
コインは鋳型にはめて作る鋳造ではなく、一枚一枚、手で打って打刻されていました。図にあるように、ダイスと呼ばれる二本の金属棒を用意し、その片方に表面を、もう片方に裏面を彫り込みます。そして、その二面の間に熱して柔らかくした金属(金・銀・銅)をはさんで、ハンマーで叩いて、表裏の面を同時に刻印するのです。
手作りですから、コインの形や重さは均一ではありません。せんべいのように、へりがはみ出していたり、亀裂があったりするのが一般です。また、ダイスは数百枚打ち込むと壊れてしまいますので、今のようにまったく同じ図柄のコインを大量に製造することはできませんでした。
さて、そのコインの図柄ですが、ここではごく大雑把にお話しいたしましょう。 共和政期(前3世紀~前1世紀)のデナリウス銀貨の表面には、通常、ローマを神格化した、ローマ神の肖像が刻印されていました。それが、帝政期(1世紀~)から皇帝の肖像に代わり、4世紀以降には皇帝の肖像から個性が失われて、画一的な、いいかげんな似顔になっていきます。
どうしてでしょう? 簡単に説明すると、共和制の時代は人よりも古代の神々が、帝政期は神よりも皇帝が、4世紀以降は皇帝よりもキリストが主役の座を占めたから。
事実、5世紀以降には皇帝の顔すらほとんど彫られなくなり、キリストや聖人たち、キリスト教のシンボルが刻印されるようになります。 また、コインの実質価値に目を戻すと、安定した時代には美術的に優れた、銀の含有率の高い貨幣が作られ、不安定な時代にはいいかげんな図柄の、銀のほとんど入っていない銀貨が作られました。
3世紀の危機といわれた軍人皇帝時代、名前の確かな皇帝だけでもなんと50年間に25人も擁立され、そのほとんどが暗殺ないし戦闘で命を落とします。勝手に名乗りを上げた自称皇帝も含めると、その数は2倍以上にもなります。そんな時代に製造された銀貨は名ばかりの銀貨で、銀の含有率も3%~5%までに低下する始末でした。
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